アナグラのshinです。
唐突ですが、僕はちょっと潔癖症ぎみです。(前置きを飛ばしまくる)
食事で箸を使う際、テーブルに直置きして何かの汁やら僕の唾液やらで汚れるのを嫌う習性があります。
たとえテーブルを綺麗に拭いていたとしても箸が汚れる気がして嫌なんですよね。
理屈では別に大した汚染ではないと分かっていても、気分的に受け入れられません。
改めてその理由を考えてみたのですが、僕はお腹が弱く食べ物に当たりやすい為、口に運ぶ物の清潔さに対して過敏なのかもしれません。
みなと同じものを食べても僕だけがお腹を壊す事はざらですし、行き慣れていない店で外食すると高確率でお腹を壊します。
でもいったい何時から僕のお腹はこんなにも打たれ弱くなったのだろう、と記憶をたどると思いだしたのです。
僕には祖父母の家で食べたカレーが原因で、地獄の苦しみを味わった経験があります。
あれは中学生の頃。夏の夜─
祖母と祖父と僕の三人で食卓を囲む部屋は、立ち昇るスパイスの香りで満たされていました。 ポークカレーです。
さっそく食べ始めて、いざメインの具材である大きな豚肉を口いっぱいに頬張ると、予想外の食感に思考が錯綜します。
豚肉だと思って食べたはずなのに、小麦粉の塊だったからです。
考えた所で答えが出るわけでもなかったので、僕は作ってくれた祖母に尋ねました。 「ばあちゃん、小麦粉の塊が入ってるよ?」
祖母は怪訝な顔をしながら「小麦粉なんて入ってないよ」と返すので、ますます意味がわかりません。
お互い頭の上に?マークを掲げたまま食事を再開しますが、やはり小麦粉の塊が入っていたので、口から出して「これだよ?」と祖母に見せました。
祖母は、なんだそれかと言わんばかりの納得顔で「それは豚肉」と言うのです。
なるほど、豚肉か…… と納得できる訳がありません。 みなさんはご存じかと思いますが、豚肉は小麦粉ではありません。
豚肉にイースト菌を振りかけてこねくり回してオーブンで焼いたら食パンが出来上がるなんて聞いた事がないですからね。
しかし真夏の夕立ちがアスファルトを打ち騒がせる様に胸がざわつく中、脳裏には稲光の様に何度もちらつく光景がありました。
冷凍庫の中の、ある光景です。
祖父母の家で使っている冷蔵庫の冷凍室には、透明のポリ袋に無造作に入れられた豚肉の塊がありました。
小学生の頃からありました。
祖父母の家に行くたびに、お腹が空いて何か食べるものはないかと物色すると必ず冷凍室の左奥に見えていた豚肉の塊。
透明のポリ袋は長く置かれていた為か、霜で覆われて一見すると謎の物体でしかない「それ」が不思議で、祖母に尋ねると「それ」は「豚肉」だと知った“あの日”からもう何年経っていただろう。
そもそも「豚肉」だと知った時点で、既にどれほどの時を経ていたのだろう。
“あの日”からいつでも冷凍庫を覗けば左奥の隅に「豚肉」はありました。
あまりにも長く、変わらずにあるものなので、目端に映っていても特に意識するものではなく、冷凍庫にその「豚肉」しか入っていない場合は『なにも無いな』と扉をそっ閉じするほどに認識が歪んでいた物でした。
それほどまでに長い間、いつでも当然の様にあった「豚肉」だったのです。 数年か、もしかしたら十数年あったのかもしれません。
最低でも僕が初めて見た時から5年は経過しているはずです。
その「豚肉」の存在が脳裏では稲光の様にチカチカと何度も印象を重ね、はっきりとした映像を結ぶと「あの豚肉はまだ冷凍室にあるのだろうか?」という疑問が恐怖と共に心を粟立てたのです。
僕はその恐怖から一刻も早く逃れたくて、急いで冷蔵庫の元へと駆け出しました。 冷凍室の左隅に、あの「豚肉」が今もあるはずだと─
あの霜に包まれた豚肉がいつも通り、いつもの場所にあるのなら、今日のポークカレーに入っている豚肉は、恐らく小麦粉か石灰だけを食わせて育てた恐ろしく不味い粉みてぇな肉質の豚肉がこの世に存在しただけになります。
ただ、無かった場合…… 僕は「豚肉」ではなく長期低温熟成の「腐肉」を食った事になります。
冷凍室の確認を終えて、再び食卓に戻り僕は少し興奮しながら祖母に質問しました。
「冷凍室にずっとあった豚肉ってどうしたの?」
祖母は全て世は事も無しといった表情で「カレーに入ってるでしょ」と言い、平然と腐肉カレーを食べていました。
ふと祖母の隣を見ると、寡黙な祖父がいつもの食卓のいつもの光景のように、ただ淡々と腐肉カレーを口に運んでいます。
この空間で、僕だけが浮いた存在かのように感じました。
それでも腐った肉を食べるのは良くないと思い何か言おうとする僕に、察しの良い祖母は「冷凍してあるから大丈夫! 嫌なら食うな!」と無茶苦茶な事を言うのです。
今になって思えば、この時の僕は正常な判断能力を失っていたと思います。 平然と腐肉カレーを食べる祖父母を目の前にし、更に祖母はつまらない嘘をつきませんから『冷凍してあれば大丈夫』という言葉にも嘘は無いのだと思い、大人しく腐肉カレーを一皿食べてしまったのです。
万物は時と共に朽ちて行くものです。 何年、いや十何年と時を経たであろうこの「豚肉」も、時の流れで朽ちて風化する直前で僕が味わっている。 こんなに味が無く粉のような食感なのは、きっと土に帰る直前の風化味。
味の主張が強いカレーの中にあっても、そう感じられるほどの粉感と、噛めば噛むほど砂の様に口いっぱいに広がりしつこく留まる粉の味の無さがそう感じさせるのです。
カレーは好物で、いつもお替りをするのですが、この日は胸がいっぱいで一皿しか食べる事ができませんでした。
そして数時間後─
僕は祖母が嘘を付いていなかった事を知ります。
『冷凍してあれば大丈夫』という祖母の言葉は真実で、祖父母は何事も無く平然としていました。
そして、僕だけが強烈な腹痛に襲われたのです。
僕は冷静な判断能力を失っていたので『冷凍してあれば(私たちは)大丈夫』という言葉の隙間に埋もれていた重要な意味を見つけられなかったのです。
祖父母は戦時中を生き抜いた猛者で、米兵が上陸してきた際には家族を連れて山の中を何日も逃げ回り、ネズミやカエルを捕まえて飢えをしのいだ経験を経ており、当時食べられそうな物はなんでも口にしたそうです。(祖父母は沖縄出身です)
そんな鍛え上げられた強力な胃酸をもってすれば、例え豚肉が何十年と経ち土に帰ろうとも、冷凍さえしてあれば、それは祖父母にとって立派な食べ物であり、全てを溶かし消化吸収してしまうのでしょう。
ただ僕の胃酸は祖父母のように強くはありません。
お腹の激痛と共に、嘔吐と下痢が止まらず、前から後ろから失礼しまーす! というカジュアルな感じでどうにもせき止められず一晩中トイレに籠る事になりました。
朝になり、もう胃液しか出ない僕に「あんたはお腹が弱いねぇ」と悪びれる様子も無い祖母に、僕は腐肉カレーを食わされた怒りや恨みなどは無く、ただただ尊敬の念を抱いた事を憶えています。
と、そんな感じで昔からみんな(祖父母)と同じ物を食べても“僕だけ”がお腹を壊す事が多々あったのです。
祖父母が悪い訳ではありません。 超人と凡人が一緒に食事をした結果です。 そもそも食べ物と見なす認識の範囲が違いすぎるのです。
ちなみに腐肉カレーの影響による体調不良は1週間続き、学校も休みました。
多分、この頃ぐらいから僕のお腹はダメージを受け弱くなり、お腹を壊しやすくなった結果、食べ物や食器の衛生に過敏になったのだと思います。
そんな経験からか、お箸をテーブルなどに直置きするのが「なんか良い気分がしない。なんかお腹壊しそうで怖い」という理由だけで箸置きを使っています。
ただやっかいな事に、同時に面倒くさがり屋さんでもあります。
箸置きを準備するのが面倒くさい。それを洗って片付ける作業はもっと面倒くさいと思っています。
みなさんは、こんな人として面倒くさいモノグサ野郎は箸置きにたまたま付着していたレジオネラ属菌から感染症になって死んでしまえばいいのに、と思うかもしれませんね。
そんな僕でも生きてていいんだと思えるアイテム「+d UKI HASHI」を手に入れました。
「+d UKI HASHI」は“お箸”です。
この 「+d UKI HASHI」 なら、箸置きを準備する手間も、それを片付ける煩わしさも無くなり衛生面もクリアできます。
それどころか食事の所作が丁寧に見えるので、食事を共にする相手に「育ちが良さそう」と勘違いさせる事ができますしらんけど…
更にその品の良さから何故かIQが高いように見えますしらんけど
この箸を使い慣れている人をIQスカウターで計測したなら、誤作動によるハイスコアを叩き出し何故か爆散するという壮絶な故障の仕方をする事でしょうしらんけど…
箸置き不要の お箸「+d UKI HASHI」の特徴
僕が購入した物は、“からし”と名付けられた色で、樹脂製ですがザラッとしたマットな質感と相まって安っぽさを感じさせない雰囲気です。
特徴は、決められた置き方でテーブルに置く事で箸先が浮いた状態になるので、テーブルと箸先ともに汚れません。
箸先が浮く仕組みは、箸の形状が中心付近から箸先と頭へ向かって細くなるようにデザインされており、中心付近から頭に向かって重く作られている為です。
ちょうどシーソーの片側だけに人が乗っている様な状態ですね。
「+d UKI HASHI」だけ食卓に用意すれば、箸置きを用意する必要が無くなり洗い物も減る。幸せしかありません。 これが世に言う“QOLがアガる”ってやつでしょうか?
約3カ月ほど使用しているのですが、従来の箸と比べて食事の流れが何か劇的に変わるという事はありません。
しかし食事という日々の暮らしに溶け込むアイテムなので、長く使うほどその影響がじわじわと現れていると実感しています。
「+d UKI HASHI」を使い慣れるほどに所作に品位が出る
使い慣れる事で自身に現れた変化として気づいたのは、箸の扱いに所作が根付いた事です。
先ほど、決められた置き方をする事で箸先が浮くと述べましたが「+d UKI HASHI(以下 ウキハシ)」の機能を使う為には、形状の特性そった使い方が必要になります。
それは、ウキハシの頭の部分にある丸い溝が上を向くように置くと、箸先が浮く形状になっている点です。
仮にこの丸い溝がある面を表側とします。 ちなみに裏側は頭先に向かって斜めに傾斜し薄くなっています。
あくまで僕個人の使い方ですが、使い方を一例として紹介します。(右利きの場合です)
まずウキハシは表面を上に向けて揃えて置いた状態で置きます。
揃えて置いたウキハシの頭先(丸いくぼみがある部分)に、右手の小指球(小指の付け根から手首までの部分)を載せるようにして、指先で中心辺りをつまみ、持ち上げます。
右手で持ち上げたウキハシは揃えたまま左手に乗せ換えます。
左手で持った揃えたままのウキハシを、右手のいつも箸を持つ最適なポジションに持ち替えます。
その時に動かす方の箸を奥側へ90度回転させます。(ここは個人的にこの一手間で使いやすくなると思っただけの手順です)
最後に使いやすいポジションを左右の手で調整し使います。
ウキハシをテーブルに置く時は、箸の中心辺りを両手で支えながら表側が上を向くように揃えます。
揃えたウキハシは、左手で持ったまま、右手の小指球をウキハシの頭先に乗せるようにして右手指先で中心辺りをつまみ持ち替えます。
あとは右手に持ったウキハシをテーブルに置けば、まるで折り目が整った折り紙のような見た目で品の良さを演出してくれます。
落語では結界と言って、自分の前に扇子を置く事で、演者とお客さんを区切る“わきまえ”を意識するそうです。
不思議な事に、ウキハシは使い方の特性上、使い慣れれば慣れるほど綺麗に揃って置かれるの事で、工芸品のような整ったデザインと相まって、使う者の品格が上がったように見える固有結界を張りますしらんけど。
それはまるで「目の前の食べ物は私の“わけまえ”だ」と意識させるもののはずです。しらんけど。
この品行方正な結界に、下賤の者は遠慮して箸を伸ばす事は恐れ多いでしょう。そう…… 品性が強すぎておかずを盗られない。 そんなjkふぁldsjふぁ
という事で、どれくらい品があるか、友人は割りばしを使い、僕はウキハシで同じものを食べてみました。
メニューはスーパーで買った総菜のパックに昨日残ってラップに包んでおいた冷や飯を載せたお洒落とは対極にあるクソみたいなワンプレートです。
なんという事でしょう。 割りばしで食っている友人の姿は、スーツのくたびれ具合と同じくらいくたびれた単身赴任のサラリーマンの夕食が目に浮かびます。
一方、ウキハシを使う僕は、仕えるべき君主を失って野武士に身をやつすも、心の錦までは失っていない侍のように見えたはずです。
(実際、所作が整って見えるので、品よく見えるそうです)
ウキハシと普通のお箸の使い方には、大差はありません。 先ほどの使い方の一例は文章にしているので、ややこしく感じるかもしれませんが、大体の方がお箸を使う上で、概ね行っている動作だと思います。
ただ、ウキハシを使っていると“箸を整えながら使う”習慣が自然と身に付くので、慣れた頃には僕自身は割と無造作に使っているつもりでも、他人からは所作が綺麗に見えるようです。
たぶん、食事しながら箸で鼻をほじったり寄せ箸やら咥え箸などの悪い癖が無ければ、ウキハシを使っているだけで品行方正に見える気がします。
「+d UKI HASHI」は普通の箸より使いやすいのか?
個人的には、普通の箸よりウキハシの方が使いやすいです。
まずは試しにと一膳だけ買いましたが、箸置きを使わずにラクして潔癖も納得させたい一心ではあったものの、その為に使い勝手を犠牲にした感覚は全くありませんでした。
むしろ普通の箸より使いやすくて、ウキハシなら飛んでいるハエすらつまめそうなくらい手に馴染んでいます。
3カ月ほど使い続けた今では、買い足すつもりでいるくらいに気に入っていますからね。
ただし、他人におすすめできるモノかというと微妙です。
基本的には、いつも使い慣れた道具が最も使い心地がいいのだと思います。
ましてや、手で、それも感覚的に使っている物であり、使用目的は食事です。
いつもの何気なくも楽しい食事の時間に、違和感が出るものは避けたいですよね。
実際、友人にも使ってもらったのですが、角箸は好きじゃないそうで、丸箸を愛用しているそうです。
品のある所作を身に付けたいとか、僕の様に潔癖を納得させたいとか─ あとは、こまめに箸を置いて良く噛んでゆっくり食事するダイエットのお供にとか、なにか目的があるなら使って見る価値はあると思います。
そう考えると来客用とかプレゼント用に購入というのも、相手が普段どんな箸を使い慣れているか分からない場合は難しいですね。(日本人ならある程度どんな箸でもそこそこ使いこなせるとは思いますが)
今まで八角形の円に近い箸を使っていたのですが、四角形の角箸である「ウキハシ」を使って見て角箸の方が手に馴染むなと感じました。
そういった点から、もしかしたら普段から角箸を使っている方なら馴染みやすいかもしれませんね。
おわりに
「+d UKI HASHI」は2007年から販売されている箸らしいです。
もっと早く知りたかったです。
箸置き使うの面倒くさいと思いながらも、それが当たり前と思っていたのですが、なんとなく思い立って色々と調べていたら見つけました。
いざ使い始めると手に馴染むし、煩わしさも解消して大満足でした。
ウキハシを買う前は、面倒くささに負けまくって箸置きをアルミホイルで包んで洗わなくていいようにしたり、なんならアルミホイルそのもので箸置きを即席で作って使い捨てたり─
およそ品行方正とは真逆の所業でしたよ。
それが今ではウキハシに所作を矯正されましたが、心根が変わる訳ではないので普段の行いと食事時の所作でギャップのあるいびつな人間になっている気がします。
分かりやすい例えで言うなら、落ちた食べ物を「3秒ルール!!」と言う奇声を上げながらウキハシで取って食うみたいな奴です。
今回、ウキハシを見つけるまでにネットで箸を検索して、様々な機能性や特徴をもった箸が見つかって、案外たのしかったです。(究極の麺箸というのも気になってます)
みなさんも暇つぶしに箸を探してみてはいかがでしょうか? 普段よく使う道具だからこそ気になる箸が見つかったりして結構たのしいですよ。
ここまで記事にお付き合い頂き、ありがとうございました。
コメントを残す コメントをキャンセル